モルトに挑戦 [雑記]
自宅の近所に行きつけのバーがある。ここは、入り口がとても分かりにくいのだけれど、オーナーマスターとのほどよい距離感、空間の心地よさ、そして700種類にも及ぶ洋酒が魅力で、たまにフラッと立ち寄る。マスターの知識は全方向に広がっていて、たとえばワインだけでも一晩語り合える程度の知識量がある。しかし、ここの700種類のお酒の約6割を占めるのは、シングル・モルト。まるでモルトの図書館のようだ。
「これから、きっとモルトの時代が来るよ」と言って、何の根拠もなく、パートナーを誘って、このバーに行ってみた。
実は、ここでモルトを頼むのは初めて。いつもはワインか、オードヴィー(フィーヌやマール、カルヴァドスのような)か、フレーヴァードワイン(シャルトリューズやベネディクティンDOMのような)、あるいはアクアヴィットやテキーラなどの地方独特のアルコール飲料で、ソムリエ試験で勉強した範囲(笑)ばかり頼んでいた。それだけでも100種類以上あるので、困ることはないのだけれど・・
モルトを味わうのは、実に15年ぶりくらいかもしれない・・というか、当時は安いブレンデッド・ウイスキーのシーバス・リーガル程度だったので、シングル・モルトは初めてかもしれない。
テキーラなども普通に嗜むようにはなっていたので、モルトにもすんなりと入っていくかと思っていた。しかし、まずシングル・モルトだけでも、ノース・ハイランド、イースト・ハイランド、ウェスト・ハイランド、サウス・ハイランド、ローランド、スペイサイド、キャンベルタウンetc(覚えきれない)と大分類があり、全く知らないことばかり。見当がつかない。道理で、アイテム数が多いはずだと思ったけれど、この膨大な蔵書目録のようなリストを読むだけでも一苦労だった。マスターに、それぞれ細かくガイドしてもらいつついくつか選んで試してみた。飲んでみると、結構、美味い。マスターは「女性一人がフラッと来て、SPRINGBANK をロックで、とか言われたらシビレちゃいますね」と言っていた(その感覚も理解が不能)。その他、興味のあったスコッチもガイドしてもらった。
ところで、マスターに「これからモルトの時代が来るのかな?」と聞いたら、「今がピークくらいじゃないですかね・・」との返事が!既に乗り遅れていることに気がついたわけだったけれど、それにしてもこの膨大な量の味の世界は、驚くばかり。流行に乗らなくてもいいや・・とも思ったりして。でも、抵抗感がなくなったのは幸いだった。
ワインにだって、もっと膨大な世界があるのだと思うけれど、世界でいかにお酒が重要なポジションを占めているのかが、少し分かったような気がした。というか、人類の飽くなき探求心というべきか。
翌日、二日酔いで頭痛がした。これも10年以上ぶりのこと・・バーに行く前にワインのボトルもあけていたので、たぶん、ちょっと飲み過ぎただけだとは思う。
歩いてそんなバーに行けるのは、ある意味幸運なことなのかもしれないし、アルコール中毒にでもなったら大変だから、危険なことなのかもしれない!?
誕生日 [雑記]
今年も誕生日がやってきた。
有り難いことに、いろいろな方からバースデーメールをいただいた。この場をお借りして、再度、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。 そして、パートナーにも、ありがとう、と伝えたい。
誕生日は、紆余曲折の末、いつもの行きつけの広尾のレストランになった。写真を見れば、分かる人は分かると思うけれど・・
オーナーご夫妻には年齢が近いせいか、とても親近感を感じる。なおかつ、驚くほどワインが安いので、ついこのお店を選んでしまう。
お料理は、マノアール・ダスティン系列だけれど、もともとジビエや内臓料理が好きな我が家にとっては嬉しい味わい。ワインともよくマリアージュをしてる。
ワインには、パートナーの選んだ Druhin-Larose の Bonnes-Mares 1992 を楽しんだ。手の込んだウズラ料理ともよくマッチをしていた。
バースデーのデザートも用意していただいたりして、誕生日を実感。
その後、写真のような夜景を眺めつつ、とあるワインバーへ。
このバーは前から知っているのだけれど、実は別関係の知り合い(ソムリエール)が金曜日の深夜枠のみカウンターに立つと聞いて、かれこれ数年。機会がなかったのだけれど、パートナーの後押しもあって(?)やっと実現した。
「なるほど、あなたの好みのタイプね」と彼女は言っていた。いや、別にそういう理由で行ったわけではないのだけれど・・Leroy の Chambertin 1972 や、Egon Mueller の Scharzhofberger Kabinet 2003 などをグラスで楽しんだ。
普段と大きくは違わない夜だったけれど、ちょっとしたことでも嬉しいことは嬉しい。でも、そろそろ自分の年齢のことも考えないといけないな、と思った夜だった。
旅 [雑記]
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
萩原朔太郎の、詩篇「旅上」の冒頭から。
100年前の朔太郎の時代と違って、今は安全で近くなったけれど、それでも時間を作り準備を整える(仕事も家庭も)のは、至難の業・・
旅に出たい。
十五夜 [雑記]
八ヶ岳南麓は、少し前まで雲におおわれていたけれど、待ったかいがあって、十五夜のお月様が出てきた。
今は快晴。息が白いけれど。明朝は寒いかな?
BGM は、もちろん Debussy の Suite Bergamasque。
のんびりとテラスでワインでお月見。
草原も、ライトなしで散歩ができる夜。
パートナーの誕生日 [雑記]
晴れ渡った大空、地平線へ沈みゆく太陽、紅に染まりやがて紫色となり、その太陽を追いかけるように、くっきりとした上弦の三日月が姿をあらわす。河面は夕陽を反射し、その手前にはテールランプのオレンジの光の流れ。僕たちはその風景を眺めながら、繊細な Blanc de Blancs のシャンパンをあけ、これまでの旅について語り合った。
パートナーの誕生日は、そのようにしてはじまった。あまり多くを書いても仕方がないと思うし、写真もほとんど撮らなかったのだけれど、記憶には深く刻まれた。幸運な誕生日だったと思う。Bonneau du Martray の Corton-Charlemagne 1998、Jayer-Gilles の Echézeaux 1998 ともに、この空間に寄り添うように豊かなディナーを盛り上げてくれた。この2本は、以前からパートナーが飲みたいと言っていたもので、サプライズに用意したのだけれど、喜んでもらえたのが一番の褒美だった。
ゆったりとした時間の流れる静かな夜の語らいは、ほんとうに素晴らしい。パートナーに、いつもありがとうと伝えた。まだ夏の名残のある一夜だった。
ICONIC と密田恵さんの個展 [雑記]
午前中、大手町の某社との打ち合わせを済ませて、お昼はどうしようかな・・と思って、行ったことのない銀座 ICONIC(アイコニック)へ。事前に電話をして、ランチを予約した。その際、名字だけでなく名前まで聞かれたのはちょっと意外だったけれど。
その前に、ピエール・マルコリーニに寄って差し入れを購入した。
ICONIC はプランタン近くの銀座Velvia館の9Fにある、ヨーロッパ料理のお店。ヨーロッパ料理と書くのは、フレンチとイタリアンのフュージョンだから。イギリスのテレンス・コンラン卿のプロデュースで、ひらまつが運営をしている。
とても広いフロアで、メイン・ダイニングも広いのだけれど、テーブルが大きく、間隔も広く、ぜいたくな作りになっていた。エレガント系?その4人掛けのテーブルの一番奥手の窓際に僕の1人用の席が作られていた。
とりあえず、勤務中だけれどシャンパンを。ランチのシャンパンは POMMERY だった。ふくよかで切れの良いフルーティな味わい。それとともに、前菜は5品。空豆とクリームのスープ、パルマ産生ハムとメロン、トビウオのカルパッチョ、稚鮎の揚げマヨネーズソースかけ、ほうれん草とベーコンのキッシュ。見た目にも美しいオードブルだった。途中から、TRIMBACH の ALSACE RIESLING 2005 をいただいた。
メインは、ほろほろ鳥のロースト・彩り野菜と森のキノコと共にをいただいた。ワインは、南仏のグルナッシュ主体のエレガントな赤を合わせてみた。ほろほろ鳥のローストはスパイシィで、ワインともよく合っていたように思う。全体的に、ヘルシーでモダンなコンラン卿らしいお料理で、ひらまつのテイストが組み合わさった印象だった。
さらに、デザートはワゴンで。「お好きなだけ、お選びください」とのことで、3種類ほどチョイスした。お勧めは、ポワールウィリアムのコンポート・ヴァニラアイスクリーム添えとのこと。
帰り際にマネージャから声をかけていただいて、ICONIC の個室やバンケットルームの設備、バーなど1フロアを一通りを案内してもらった。どうやら、ひらまつは顧客管理がしっかりしているらしく、僕が予約をした時点で、僕が株主であることや趣味やどこの常連なのかとか、詳しい情報を共有しているようだった。いやはや。さすが、ひらまつのサーヴィスと感服をしてしまった。ICONIC の向かいのビルには、オープンしたてのブラッスリー・ポール・ボキューズが見えた(ここも、ひらまつの運営)。
と、満足なランチをいただいた後に、友人でイラストレータであり水彩の画家でもある密田恵さんの個展に足を運んだ。実は、ICONICにしたのは、彼女の画廊が近かったから。密田さんは、ことりごと という素敵なblogも毎日更新している。
密田恵さんの個展のテーマは la Voce。イタリアに精通した密田さんだけれど、この日のテーマもイタリア語の「声」だった。様々なサヴァンナの動物たちの、ささやきや、悲鳴、いたわりの言葉、ひとりごと、などが聞こえるような、水彩のコラージュ作品展だった。今までの柔らかいタッチの画風とかなり違っていて、現代アートの力強さや躍動感も感じつつ、密田さんからいろいろお話をうかがった。常に新しいジャンルにチャレンジし続ける彼女には、感服するばかりだった。15日まで、銀座の「ギャラリー椿」(http://gallery-tsubaki.jp/ 03-3281-7808)で行われている。INAX ギャラリーを中央通りをはさんで向かい合った路地の近く。
その後、ちゃんと仕事をして(笑)、夜は一転して、豆腐料理のお店・燈庵にパートナーと。ここは、豆腐と地鶏料理を専門にしているお店。できたて豆腐を5種類の薬味でいただいたり、生湯葉の刺身や、旬のナスの揚げ出し、サンマなど、ヘルシーに。
特に、地鶏のささみの梅仕立てが美味しかった。いつも混んでいるのだけれど、女性客で満席という感じ。最後は、宮崎名物の冷汁でしめた。と思ったら、店主から、抹茶をたててもらい、サーヴィスしてもらった。そんな心遣いで終わった、ちょっと嬉しい一日だった。
PIECE の夜 [雑記]
PIECE は、多摩川河川敷にある珍しいイタリアンレストラン。
3年ほど前、ありす(犬・♀)の散歩中、たまたま見つけたレストランだった。もとは、「川の家」みたいな、何かの売店だったらしい。河の中なので、もちろん眺望は素晴らしい。緑と河のせせらぎ、そして晴れている日は富士山も見えたかもしれない。
このお店は、オーナーのKさんともすぐ仲良くなって、それ以降、ありすを連れて、パートナーとよく通った。なにしろ、河川敷の中にレストランがあるなんて信じられないのだけれど、味も本場のナポリ・ピッツァをほうふつとさせる本格的なものだったからだ。当時は、最も高いワインが LOUIS ROEDERER の BRUT PREMIER というシャンパンだったような記憶がある。それも 8,000 円程度で良心的だった。
普段は、夕方から夜にかけて利用することが多かったけれど、昼間、仕事に疲れて立ち寄ってシャンパンを1杯、ということもあった。多くの人々の、憩いの場所にもなっていた。
ところが1年前に行ったきりで、今年になって移転をしたのだけれど、今夜はじめて、パートナーとありすと一緒に新しいお店に行ってみた。
お店の看板も、何か昔の手作り風とは違ってとてもゴージャスになっていてびっくりした。
でも、テラス席は昔の雰囲気を大切にしていて、リラックスできるような眺望と雰囲気になっていた。ただ、若干 BGM が大きめで、これは移転先が高架に近いせいかと思われる。
基本的に緑いっぱいのアウトドア系の風景だけれど、シャンパンもよく似合うのが不思議だ。
かつては、旦那さんと奥様が切り盛りをしていらっしゃったので、美味しいパスタやピッツァがメインだったけれど、今ではイタリアで修行したシェフがおり、桜鯛のアクアパッツァなども楽しめるようになった。
ただし、昔のピッツァの味が忘れられないという気持ちはあるけれど・・ 時代の要請なので仕方がないのかもしれない。
食後に、リモンチェッロを楽しんで、3時間ほど過ごしてから後にした。
散歩の途中に、フラッと寄って、ちょっと休憩するのにもいいお店だと思うが、以前より C/P が悪くなったような気がするのが残念。とはいえ、緑の中でゆったりと食事ができる贅沢さは、我が家では八ヶ岳の山小屋以外にないので、かけがえのないお店ではある。
4月上旬から11月末までの、期間限定の開店というのも、おもしろい。冬の間は、スタッフの皆さんは何をしているのだろう・・・
たまがわ花火大会のムービー [雑記]
季節外れとは思いつつも、2007/08/18 たまがわ花火大会のムービーを YouTube にアップロードしてみたので、お知らせです。
■たまがわ花火大会 2007 カウントダウン&オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=Ob3z0L3oMiY
■デジタルスターマイン「“光のカーテン” Fantasy Of The Blue」
・デジタルスターマイン ACT.1 「SKY」
http://www.youtube.com/watch?v=F4v-fM4bijg
・デジタルスターマイン ACT.2 「SEA」(※おすすめ)
http://www.youtube.com/watch?v=yowJyiy53iU
■たまがわ花火大会の記事
http://blog.so-net.ne.jp/days_of_wine_and_roses/2007-08-18
デジタルスターマインは、本当は 215MB のファイルサイズなのだけれど、22MB×2 にシュリンクしてアップロードをしてみた。YouTube は、100MB & 10min までアップロードできるらしい。
YouTube は MPEG4 でも QuickTime+H.264 でも何でも受け付けるようで、あまりに簡単でちょっと驚き(←遅すぎ?)。
たまがわ花火大会 [雑記]
Debussy の Preludes の最後の曲の名前は "Feux d'artifice" 花火。
この曲を聴いていると、なぜか水辺のせせらぎと、きらめきを感じるのだけれど、今年のたまがわ花火大会のテーマも「水辺」だった。猛暑の涼をとるのに、ふさわしいイベントだ。Debussy のこの曲は、7月14日のパリ祭のために書かれたものだけれど、瑞々しいタッチで花火を描いていて、僕も好きな曲のひとつだ。
さて、4年ぶりに開催された世田谷側の花火大会。毎年楽しみにしていたのだけれど、区長が代わって当初「財政再建のために」ということで中止になってしまった残念なイベントだった。ところが、近々、区長選があるためか(?)、4年ぶりに復活をした。それほど区民が楽しみにしていたイベントということだと思う。何を隠そう、僕も数回電話をしたことがある(汗)。今年は33万8千人の人出があったらしいけれど、午後2時前に行ったときには、まだ人もまばらだった。なので、ステージ最前列かつ花火の目の前に席を取ることができた。
今日は涼しいし、芝に寝ころんで、のんびり読書か iPod でフランス語でも聴こうと思っていたら、ステージから陽気なラテン・ミュージックが聞こえてきた。リハーサルのようだった。ラテン・バンド、ヒップホップダンス、吹奏楽団と、どれも一生懸命にゲネプロをしていて、思わず数時間、それらを観賞して過ごすことになった。それもまた一興。しかし、ワインを持ってこなかったのは失敗だった。後からパートナーがいろいろ持って来る予定だったのだけれど、彼女が来たのはプレイベントの本番直前(17:30)だった。さらに、友達夫婦が来たのはその30分後だったけれど。
ともあれ、プレイベントのライブでかなり盛り上がった。『おーい・せたがや』もその1曲。って、知らないよ・・。ラテン・ミュージックの熱気と、ヒップホップダンスの活発な動き、世田谷区民吹奏楽団演奏の懐かしのアニメソングやヒットソング・・などなど、これだけでも90分楽しめる内容だった。シャンパン G.H.Mumm / CORDON ROUGE やパートナーが買ってきたスーパートスカーナとおつまみをいただきながら、楽しんだ。
その後、着火式となり、上に書いたことが関係しているのか区長の言い訳やら、えらいひとの祝辞などがあって、着火となった。
たまがわ花火大会 2007 オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=Ob3z0L3oMiY
区制施行75周年ということで、オープニングからなかなか気合いが入っている。花火は第1幕から第8幕まであり、それぞれテーマがあったけれど、第4幕の『子ども夢花火2007』はほほえましかった。星座や、四つ葉のクローバーや、すいかや、いちご、あさがおなど、子供たちが考えた花火を職人さんが形にしてくれたもの。いろいろな花火があがったけれど、想像するのも楽しかった。たとえば、あさがお、四つ葉のクローバー、ひよこは、こんな感じ。
音楽と花火のシンフォニーであるデジタルスターマインは、今年も見応えがあった。テーマは『“光のカーテン” Fantasy Of The Blue』とのことで、ACT.1 「SKY」、ACT. 2 「SEA」など、ストーリーもあったりして、ちょっとした光のミュージカルだった。
デジタルスターマイン ACT.1 「SKY」
http://www.youtube.com/watch?v=F4v-fM4bijg
デジタルスターマイン ACT.2 「SEA」
http://www.youtube.com/watch?v=yowJyiy53iU
尺玉30連発や、大空中ナイアガラなど、たった1時間だったけれど盛りだくさんの内容に、みんな、とても満足だった。
花火が終わった後は、アンコールイベントで、またヒップホップダンスやラテン・ミュージックや吹奏楽を楽しんだ。ゆっくりできたので、帰りも楽・・というほどでもなかったけれど、まぁ、いいかと。
暴徒たちがステージに詰め寄る場面もあって、一瞬ひやり。
というのは冗談で、みんなでヒップホップダンサーたちと一緒に、ラテン版の『おーい・せたがや』を踊っているのでした。みんな、ひょうきん者だな・・と思った。ちなみに、パートナーと友達の女の子も一緒に踊っていたというのは内緒です。
ステージでの締めは、なぜか三三七拍子だったけれど、動画はあるものの恥ずかしいのでやめておきます(笑)。
今年の教訓は、17時くらいから FOMA が全く通じなくなったということ。33万人も一カ所に集まっているのだから当たり前だけれど、パートナーや友達に場所を説明するのに困りかけた。ところが、通話もメールも僕はできないのに、パートナーからは電話がジャンジャンかかってくる!なぜかと思ったら、彼女は mova をしつこく使い続けていて、どうやら周波数帯が違うので通じるようだった(あまり使っているひともいないし・・)。
僕も3ヶ月前まで mova を使っていたのだけれど、これは山小屋で使えるのがこれだけだったからだ。しかし膨大なパケット通信を利用していて、毎月4万円も請求が来るのが頭痛の種だった(しかも通信が遅いし)。ところが FOMA が通じるようになったので、速攻で切り替えたわけ。もちろん HSDPA & 「パケホーダイフル」にして喜んでいたのだけれど、緊急時には mova の方がいいのかもしれない、と再認識をした。なにより i-mode すら使えないのは困る・・
ともあれ、去年までの狭い思いをした花火大会とは違って、多摩川河川敷の広大なグラウンドで、間近に花火が見られて大満足な夜だった。やっぱり、ライブは楽しい。
※実は花火のムービーもあるのだけれど、So-net はなんと1GBも容量があるのに1ファイル1MBという制限があってアップロードできず残念・・(← 後日、リンクを張りました)
氷でできたバー [雑記]
「猛暑日」という言葉も出てくるこの最近、あまりの暑さに麻布にある ICEBAR TOKYO へ納涼に行ってきた。
ここは、スウェーデンの ICEHOTEL のデザイナーが、スウェーデンのトルネ川から切り出された氷35トンを日本まで持ってきて作った、氷でできたバーだ。トルネ川の氷は、世界で最も純度が高いと言われている。
ICEBAR は、壁、カウンター、テーブル、椅子、氷のオブジェ、そしてグラスまですべてが氷で出来ている。氷でないのは、天井と床と道路側の窓くらいではないか・・と思われるほど、徹底した氷の世界がそこにある。もはやアートといってもいい空間だ。常にマイナス5度に保たれ、お客さんは貸し出されたポンチョ型の防寒着と手袋をはめて過ごす。
飲み物はウォッカのオリジナルカクテルのみ!いさぎよいメニューが、かえってすがすがしかった。しかも寒いし、やはりウォッカかアクアビットがほしくなる。
クリスタルのような純粋な氷の世界では、寒さに凍えるかと覚悟をして行ったが、実際には逆で、むしろ火照って陽気な気分になり、連日の猛暑でダレていた体がしゃきっとしたのが面白かった。おそらく、外気との差が40度近くあり、急激に毛細血管が収縮したために若干血圧があがったのだろう。スーッとストレスが消えていったのも興味深い。とても愉快な体験だった。しかも、そこに1時間半ほどもいたのだから、我ながら笑ってしまった。
お盆休みの「居残り組」とワルン・ロティの店主大和田聡子さんには笑われてしまったけれど、この夏に、また行きたい場所だ。とにかく、氷が美しいと思ったのは久しぶりだ。
クロワッサンの由来 [雑記]
以下はいろいろ調べた結果わかったことなので、本当はすべて「らしい」や「のようだ」となるのだけれど、すべての文章をそのように書くと間が抜けてしまうので、普通に書いた。しかし、その現場にいあわせた訳ではないので、あくまでも推測であることを念頭に置いておいてほしい。
フランスの代表的なお菓子のクロワッサン。パリの街角で食べるクロワッサンは格別だ。ちなみにお菓子と書いたけれど、クロワッサンやブリオッシュは現地ではパンではなくお菓子(ヴィエノワズリー)に分類されている。
フランス語の勉強をしていたらクロワッサンの由来に突き当たった。
クロワッサンは、もともとはウィーンのお菓子で、「キプファル」という別の名前がある。その昔、オーストリアがトルコと戦っていた頃、トルコ軍が攻めてきてウィーンの街を包囲したことがある。ある早朝、奇襲作戦に出たトルコ軍の兆候に、仕込みをしていたパン職人が気が付き、いち早く軍隊に知らせたことからトルコ軍の作戦は失敗し、それがきっかけでトルコ軍は引き上げた。
その勝利を祝い、トルコの国旗にある三日月に似せたパンを作り、有名になったのが起源。その後、マリーアントワネットがフランスに嫁いだ際、連れて行ったパン職人がこれをフランスに伝え、クロワッサンとしてフランス国内のみならず世界にひろまった。
なぜクロワッサンかというと、語源はフランス語の croître (成長する、増大する)にある。その現在分詞が croissant (クルワサン)。実は月が、新月から満月に至る三日月の間、上弦の月となって少しずつ増大することから、croissant は「増大する」三日月(上弦の月)を意味するようになった。そこで、その三日月によく似たこのお菓子をクロワッサンと呼ぶようになった。発音はクルワサンみたいな感じだけれど、クロワッサンと日本では呼ばれている。
ただし、オリジナルのキプファルはバターを使わないものだったので、味わいの点ではクロワッサンとは違うようだ(食べたことがないので分からない)。
つい先日、Sofia Coppola 監督の映画 "Marie Antoinette" を観たばかりだけれど、Marie は「パンがないなら、ブリオッシュを食べれば?・・・なんて言わないわ」と言っていたけれど、字幕ではブリオッシュが「お菓子」に翻訳されていた。さて、ウィーンといえば、ウィンナー・シュニッツェルもあるけれど、クロワッサンはその逆パターンなのだろう。
パンも、フランス語の Pain またはポルトガル語に由来するけれど(どちらもラテン語)、クロワッサンも同様にそれなりの由来があるところが面白い。
フランス語 [雑記]
1年ほど前からフランス語の勉強をはじめた。
友人と「フランス語学校に行こう」と話していたのが発端だったけれど、以前からフランス語には興味があった。
1.ワインが好きで、よくフランスから来日される生産者さんと会う機会が多く、少しは話せたらなと思っていた。
2.前回、フランスに行ったときに、現地のマダムと2時間くらい英語で世間話をしたのだけれど、最後にマダムから「日本ではフランス語は学校で習わないの?」と聞かれ、また「次はフランス語で話せるともっといいわね」と言われたことが、長いこと気にかかっていた。
3.仕事でフランスの会社と取引が発生する可能性があった。しかし、IT系で英語がペラペラなので、フランス語の必要はなかったものの、やはり少しはしゃべれた方が潤滑油になってよいと思っていた。
4.フランスの映画が好きだけれど、字幕だけだと細かなニュアンスがくみとれないと思っていた。
5.フランス料理が好きなので、メニューを原語で理解したかった。
6.ワインのエチケットに書いてある言葉が何なのか理解したかった。
7.単にフランスが好きだった。
その他、理由をあげればきりがない。
フランス語学校での事前チェックのインタビューでは、1,2,3をウノ、デュエ、トレと言ったり、「はい」を「シ」、「いいえ」を「ノ」と言うなど、「あなたはイタリア人なの!?」と言われるほどフランス語が何も分からなかったのだけれど、毎週フランス語で話をしているうちに、だんだんとニュアンスが分かるようになってきたところだ。とはいえ、まだまだ先は果てしなく遠い。
そういうわけではないけれど、語学仲間のメーリングリストでネイティブの人も交えてフランス語でやりとりをしているので、blog もやろうと思い至ることになった。それが、以下の blog。
LA VIE EN ROSE
http://blog.so-net.ne.jp/la_vie_en_rose/
題名は、もちろん、吉川晃司、、、ではなく、Edith Piaf の名曲から来ている。この秋にも、同名の伝記映画が日本でも上映されるらしい。
まだ始めたばかりなのでエントリーが少ないけれど、時々、フランス語でも日記をつけてみようと思う。ニックネームの akasha は、インドのサンスクリット語の哲学用語からきていて、「空(くう)」を意味している。単に、yutAKA を逆に読んでいったら、、と思って aka まで来たところで辞書で見つけたこの言葉を選んだだけで、深い意味はない。
DAYS of WINE and ROSES は、ちょっと硬めの内容が多いけれど、フランス語の方は「誰と会った」とか「何を観た」とか「何を食べた」とか、気楽に日記に徹しようと思っている。とはいえ、どちらも更新をしなければ意味がないのだけれど、マイペースで行こうと思っている今日この頃。。
味覚の危機 [雑記]
月曜日から体調が悪かったのだけれど風邪だと思っていた。で、火曜日も体温は38.5度くらいだったけれど、念のため病院で鼻の粘膜の検査をしてもらったらインフルエンザA(+)に感染していることが分かった。いまごろ・・
というわけで、ちまたで噂のタミフルを処方してもらった。やった。解熱剤や他の薬は一切なくて、これだけ・・とてもシンプルな処方。
夕食は、うなぎの美味い「うな茂」の「うな丼ダブル」(うな丼が大盛りになっており、さらに中間層にうなぎが挟み込まれている)を頼んで体力の増強をはかることにした。インフルエンザといっても、食欲は変化がなかった。このまま薬が効いて熱が下がれば何の問題もないと思っていた。
ところが、ビールを一口飲んで異常に気がついた(本当は禁酒も言い渡されていたのだけれど)。ビールの香りが、ゲ○の香り、あるいは糠床の香りで、味もゲ○の味だったのだ。一緒に食べていたパートナーに聞いたら普通のビールだという。次に、うなぎを食べたら、かすかな苦味以外に味がほとんどしない。特に甘みを全く感じていないのに気がついた。これもパートナーに聞けば、ほどよいタレの具合が美味しいのだそうで・・時々、かすかに香ばしい香りが頭をよぎる。しかし、せっかくのうな丼ダブルは、ほとんど味が分からないまま、ただ漫然と食べることになってしまった。なんてつまらないんだろうと思いながら。
次の日も、「寅福」で焼き魚2種類の和定食をいただいたのだけれど、やはり、スズキも銀むつも味がほとんどしない。かすかに香ばしい香りがするだけで・・自慢のご飯もボソボソしているではないか。まったく「寅福」に来た意味がないと思いつつ、食欲だけはあるので完食。小ビールを頼んだけれど、昨日と同じでやはり糠床の香りだった・・
食後に、ヴェネティアン・バールに行って、パートナーと甘みの味覚を調べようということで、マロンケーキとエスプレッソを頼んでみた。マロンケーキは、かすかに苦味と香ばしさを感じたけれど、やはり甘みはほとんど感じなかった。しっとりと美味しそうな雰囲気ではあったのだけれど。ついでに、エスプレッソに砂糖を入れても入れなくても味が変わらない(かすかな苦味のみ)のに気がついた。
そこでパートナーはかく語った。「きっと、ウィルスが脳の方にまわっちゃって、嗅覚野と味覚野が冒されて死滅してしまったのよ。でも全部じゃないから部分的に感覚が残っている。だから、もうワインの香りも味も分からないかもしれないね~残念ってことで。」
僕は「人間には自己治癒力があるから、脳にバイパス回路が出来上がるまで、感覚を鍛えるためにも美味しいものを食べ続ける必要がある」と主張をした。
いや、もちろん半分冗談ではあるのだけれど、内心は不安もあった。
その夜は、体温が急上昇をし、深夜には39.7度まで上がってしまった。不思議なことに汗が全く出ない。暑いとも思わなかった・・ただ、その後12時間くらい39.5度以上の体温が続いた後、数時間経って起きた時には37.5度に下がっていた。これが水曜日の昼くらい。汗も途端に出てきているのに気がついた。
水曜日は夜にどうしても仕事で出かける必要があり、外出をしたけれど、体温は36.5度のまま安定をして、どうやら峠を越したようだ。しかし、やはり夕ご飯のお弁当を食べても味が分からなかった。
実は水曜日の夜には、オープンカレッジでシャンパンのテイスティング講座があることになっていた。当然パートナーは参加したのだけれど、僕はインフルエンザと仕事のダブルパンチで不参加。ちなみに、今回は、クリュッグのグラン・キュヴェ、ボランジェのスペシャル・キュヴェとグラン・ダネ1999、ブリューノ・パイヤールの1999のブラインドテイスティングだったらしい・・・なんという贅沢な講座だろうと思うけれど、こればかりは仕方がない。どのみち味も香りも分からないのだから、行っても意味がなかった。
悔しいので、家にある、クリュッグのヴィンテージ1990と、ボランジェのR.D.1990、およびキュヴェ・ドン・ペリニョンのエノテーク1990で追試験を行ってみたいところではあるけれど、もったいなさすぎるので、多分実現されることはないだろう・・
話は戻るが、それで心配になって、ネットで味覚異常の原因を調べて、思い当たる部分が多々あったので、とりあえず対策に「亜鉛」を摂ろうということになって、木曜日に亜鉛を大量に注文した。
ところが、金曜日になって、朝のパンの香りや味、コーヒーがかすかに分かるようになっていることに気がついた。さらに、夕食に、どうせ味が分からないからと買ってきたコンビニ弁当も、ちゃんと味が出ているのに気がついた。どうやら、感覚が戻ってきたらしい。ビールは飲んでいないので、糠床風味なのかどうかは分からないけれど、とりあえず、日常生活に支障がない程度には快復をしたようだ。ただ、ワインのテイスティングができる程度に感覚が戻っているかどうかは疑問だ。
問題は、大量に注文をした亜鉛だ。通常大人は1日に15mgを摂取するらしいけれど、味覚異常の場合は50mg必要と書いてあったので、90日分くらい頼んでしまった。これをどう消化していくかかもしれない・・害はないだろうから、1日1錠ずつ飲んでいくしかないかな。
それにしても、味が分からない世界というのが、文字通りいかに「味気ない」ものなのか、身を以って知った感じだ。女性の香水の香りすら分からないのでは、"Hooah!"とも叫べないではないか!(ref. 映画 "SCENT OF A WOMAN")
六本木の夜 [雑記]
昨日は、パートナーと社交ダンス教室に行った後、エタニティ・リングを受け取りに宝石店に行って、その足でフレンチのディナーに行った。社交ダンスは、今年になってはじめたばかりだけれど、最初は渋々パートナーにつきあって通っていたのが、意外とおもしろいということに気がついた。何より姿勢がよくなるし、適度の運動にもなる。僕についてくれている先生が、若くてスラリと身長の高い美人でまるで8頭身のモデルのような人なのだけれど、一緒に踊るのに毎回ちょっと緊張するくらいか・・とても踊りやすいけれど。
エタニティ・リングは本当は来年のはずだったのが、いいダイヤモンドが入ったとのことで、1年前倒しに。相場も上がってきているし。ダイヤモンドの輝きは、いつ見てもいいものだなと思うし、つい引き込まれてしまうのだけれど、エンゲージ・リングに負けないくらいの豪華なものにしたので、ちょっとダイヤだらけなんじゃないか!?とも若干思わないこともなかった。カラットとカラーとカットには妥協をしなかったのはよかったと思う(クラリティはラインを守りつつ)。本当は、来年の結婚10周年記念の時に渡すものなのだけれど、それまでの間、貸し金庫に入れておこうか、それとも特別な時には使用を許可するか迷うところ。昨日は特別に、エンゲージ・リングと一緒につけてディナーに行った。
近所のなじみのフレンチでは、シェフが我が家の好みをよく心得ているので、ぜんぶお任せにしているのだけれど、昨日は2択があった(いずれもメニューには載っていない)。ひとつは岩手の雉、もうひとつは沖縄の御嶽鳥(ウタキドリ)という珍しい鳥だった。フェザンも、そろそろシーズンが終わるから迷ったけれど、縁起物と言われる御嶽鳥にした。軍鶏の一種らしい。一羽を2人で分けて、様々な調理で味わい深い鳥を楽しんだ。それを中心にコースを組んだのだけれど、ワインは、Domaine Priure-Roch(プリューレ・ロック)の Clos de Vougeot 2002のボトルを中心に、食前酒やグラスの白など。ロックについては書くべきことが山ほどあるのだけれど、昨日もその実験の兼ね合いもあった。最終的には、とても果実味にあふれ力強いタンニンと酸のバランスを備えたグラン・クリュらしい味わいを引き出すことができたと思う。ただ取り扱いの難しいワインなので、それについてはいずれ書きたいと思う。2006年8月14日の悲劇を含めて。
で、満足したところで、パートナーが六本木で知り合いのバーがオープンのパーティをやっているからこれから行こうという。ついでにクラブで踊ろうともいう。疲れていたのだけれど、半ば強引に六本木に行くことに。23時過ぎだったのだけれど・・
六本木に行くのなら、僕の行きつけのバーでまずは一服させてほしいといって、到着してすぐそこに向かった。AGAVE。テキーラバー。ここが最近のお気に入り。ところが、数百人と思われる行列が AGAVE の方向に並んでいて驚いた。でも、お店の近くを見に行ったら、隣の »Club Vanilla の閉店パーティの行列なのに気がついた。まさか、AGAVE に数百人も並ぶことはないよな、、と思ったけれど、AGAVE の人も同じことを言っていた。
ここは外国人が多くて、ほとんど日本語が聞こえず、いろいろな言語が入り混じった不思議なバーだ。かなり広いのだけれど、深夜枠は満席になることも多い。昨日は7割くらいで無事にカウンターに座れた。テキーラとカクテルを数杯飲んで、一服をしたら疲れも取れて、知り合いのバーに。
そのバーでは、友達がたくさん来ていて、結局朝までオールという感じになってしまった。やれやれ。近所の友達が「明日、朝から仕事なんだよぉ」と言いながら、寝込んでしまったので、それを午前5時くらいに無理やり起こして、タクシーに乗せて一緒に帰ってきた。
と、今回は普通の日記なわけだけれど、バーの後にさらにクラブに踊りに行かなくて済んで良かった、、、と思った。僕が知っているクラブというと、エリアとかマハラジャとか、そういう年代だけど、もうその場所にはないらしい。まったく六本木のエネルギーはすごいなぁ、というか相変わらず外国人だらけだなぁ、、と思いつつ、心地よい疲労とともに明け方眠りについたのだった。パートナーが一緒だと門限を気にしないでいいのがメリットか!?そして、これも家族サーヴィスの一種??
夜桜見物 [雑記]
坂口安吾は『桜の森の満開の下で』で、桜の下には涯てがない、と書いている。ただ虚空が広がり、冷たい風が四方から吹き付けてきて、人を狂わせると。
それを確かめるわけではないけれど、とある川に面したバーに夜桜を観に行ってきた。
このバーは、カウンターの正面が、川に面して全面がガラス張りになっており、その向こうには川沿いに植えられた樹齢の高い桜がライトアップされて見えるよう趣向が凝らされている。実は、あまり知られていない桜の名所だ。
カウンターの他にVIPルームや個室もあって、店内はかなり暗く、エミール・ガレのスタンドが所々に点いており、懐中電灯がないとメニューが見えないくらい。実際、メニューと一緒にペンライトを渡される。隣の席に座っている人が誰なのかも目を凝らさないと分からないくらい。その全面のガラスの向こうに、幻想的なライトアップされた桜の風景が浮かび上がるという趣向だ。
数ヶ月ぶりに訪れた僕を、ミカエルは覚えていてくれた。ただ、残念ながら、ここではまだ桜は満開ではなく、写真のように一部の枝には花がついていたけれど、つぼみが多かった。正面の桜、そして右側から伸びてきている枝が満開になると、さぞ素晴らしいだろう。おそらくは、来週の後半あたりが見ごろになるのではないかと思う。
桜が終わると、今度は一面が緑の世界になる。それはそれで風情があって、とてもよい感じだろう。
3時間ほど、桜を眺めつつ、シャンパンをあけながら過ごした。この季節は予約が取れないので、オープンの午後7時に行ったのだけれど、まだ他にお客さんはいなかった。しかし、午後9時ともなると、カウンターはもちろんすべてが満席となっていた。お勧めは、終電が終わった後の午前0時過ぎではないかと思う。バーは午前5時までやっている。
ミカエルとフランス語で軽く再会の挨拶とハグをして、バーを後にした。
A la prochaine fois.